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現実の冠婚葬祭とは

人々は天皇家の結婚に家族のモデルを見てきた。だとすれば、皇室典範が男系男子の継承にこだわっている限り、「家意識」から人々が完全に抜け出すのはむずかしいのではないか。高度成長期が「多婚少死」の時代だったとすれば、現代は「少婚多死」の時代である。このまま行けば、高齢者だけの世帯、非婚や離婚による単身世帯はますます増加し、血縁に頼らない「個人」単位の相互扶助が否応なしに必要になるだろう。現在でもすでに、社会学者の落合恵美子らがいう「双系制」社会ははじまっている。双系制とは、男系男子で財産や祭祀を継承してきた「父系制」にかわり、夫婦ともに両方の親をみるようなシステムのこと。一人っ子同士で結婚した場合、二人で四人の親をみなければならない。「嫁にやった」「嫁にもらった」なぞといっている場合じゃないのである。現在もなお、結婚で改姓するのは九五%以上が女性である。しかし、彼女らの中には「名を捨てて実を取る」、すなわち名字だけは夫に譲って、結婚後も実家と緊密な関係を保ったままの妻が少なくない。おもしろいことに、一九八〇年代までのシンプルな核家族の時代以上に、親世帯と子世帯のつき合いは深くなっている。いちばんの理由は、共働き世帯の増加である。「おばあちゃん」に子育ての応援を頼まなければ共働きができない家庭が増えているのだ。父親の育児参加ならぬ祖母の育児参加。仕事を持った母親への支援体制が整っていない(そして父親の育児参加がしにくい)状況のせいとはいえ、三つの家庭(子育て中の夫婦および双方の実家)の関係はけっこう微妙だ。祖母の育児参加を脱却した後に待っているのが、今度は親の介護である。それが冠婚葬祭とどう関係するのかって?関係するに決まっているじゃないですか。盆暮れにどっちの実家に帰省するか。墓の世話を誰がするか。それが現実の冠婚葬祭なのだから。

お寺での精進料理の作法とは

法事の折など、読経後に精進料理の席が設けられ、お寺で食事をすることになったら、食事も供養のうちで、さまざまな作法がある。まず、食事前に、さまざまなお唱えをして、仏に祈り、食事をいただけることを感謝する。食事中は、沈黙が大切。隣に座っている人とおしゃべりするのは厳禁だし、食器の上げ下ろしや箸の音、クチャクチャ噛む音などもたててはいけない。器は必ず手に持つ。器を置いたまま食べたり、ごはんの器を持ったまま、漬物を取って食べたりしてはいけない。食べ終わったら、「洗鉢」といって、使った食器を清める。大きな鉢に入れて配られる湯ですべての食器を清めるのだが、その方法は、臨済宗と曹洞宗とでちがう。臨済宗では、左手で器をまわしながら、右手の指で食器の汚れを落とす。曹洞宗では、へらの先に布を巻きつけた「鉢刷」というものでこすって汚れを落とす。どちらの宗派でも、湯を飛び散らさないように静かに洗うのが作法で、洗ったあとは布巾で器を拭く。

「ご苦労さま」と「お疲れ様です」は同じ意味?

学生から社会人になったときに、使い慣れない言葉として挙げられるものの一つに「ご苦労さま」と「お疲れさまです」がある。社内で人とすれ違うとき、同じ部署の人が外から帰社したとき、部下が仕事を終え、報告してきたときなど、さまざまな場面に、「元気?」「お帰りなさい」「ありがとう」など、いろいろな意味で、立場に関係なく使える便利な言葉だ。同じように、相手をねぎらう言葉に「ご苦労さま」があるが、これは目上から目下へ、または依頼する側から依頼を受けた側へのみ使う言葉。「社長、ご苦労さまでございます」などと、どんなに語尾をていねいにしても、目上の人に使うのは間違い。若い人が「ご苦労さまです」と言ってもいいのは、たとえば宅配便の集荷を依頼して取りにきてもらった、頼んでいたお弁当を配達してもらったなど「依頼した側・された側」が明らかな場合のみ。


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